帰属意識をビジネスに変える
なぜ人は帰属意識が生まれるのか?
生まれ育った地域に特定の帰属意識をもっていれば、それを「地元意識」とよぶ。
人って不思議だ!
正月の駅伝では、母校を応援する。
甲子園は、地元の県代表を応援する。
オリンピックでは、母国を応援する。
オリンピック出場者に、
母校出身者でもない、他の県の出身者でもない人がでていても
同じ日本人として応援する。
これは当たり前なのかもしれないが
戦うフィールドが変われば、帰属意識の範囲も変わるのである。
そう考えると、
今、国家間の紛争がなかなか解決しない。
ここで、宇宙人が地球に攻め込んできたら
紛争をやめて仲良くなって、宇宙人と戦うのだろうか?
さきほど、世界の企業時価総額ランキングで
アメリカや中国をライバルや対抗意識をもって感じていたが
地球規模で考えると、意識の矛先を自分のやるべきこと(やりたいこと)に集中しなければならない
この帰属意識をビジネスに変えるしくみづくりにチャレンジしたい
世界の企業時価総額ランキング
企業時価総額ランキングに衝撃をうけた。
世界時価総額ランキング(2018年01月末時点・109円/$)
1位)アップル 94兆円 アメリカ
2位)グーグル 89兆円 アメリカ
3位)マイクロソフト 80兆円 アメリカ
4位)アマゾン 76兆円 アメリカ
5位)テンセント 61兆円 中国
6位)フェイスブック 59兆円 アメリカ
7位)バークシャー 58兆円 アメリカ
8位)アリババ 56兆円 中国
9位)中国工商銀行 46兆円 中国
10位)JPモルガン 44兆円 アメリカ
11位)中国建設銀行 42兆円 中国
43位)トヨタ自動車 22兆円 日本
中国の勢いが凄い!
何が衝撃かというと
「後悔」「ねたみ」「劣等感」のような
何とも言えないやるせない気持ちになった。
2010年に中国(天津)でリフォーム会社を設立直前で止めた経緯がある。
理由は多々あったが、中国に進出しなかったことは確かだ。
結果だけを見ると、自分の将来への先見性の無さや、挑戦できなかった弱さが浮き彫りになった。
この間、中国の悪いニュースを見るたびに
「中国に行かなくてよかった」と自分に言い聞かせていた。
また、人って往々にして、自分たちの存在意義や自尊心を守るために
他人を蔑み、自分たちを優位に考える傾向がある。
これは国同士でも同じことが窺え、とくに日本は中国や韓国にはそのような傾向がみられる。
(逆にアメリカには弱い感覚がある)
現状だけの結果からみれば、間違いなく負けている。
もちろん、自分たちは理念経営をしており、お金だけではない価値を求めていることもあり
よく「お金(時価総額)だけではない」という議論もある。
しかし、時価総額という評価は、人々が認めた価値をお金という物差しに置き換えたことでもある。
もう、自分だけが考える自分だけの価値を守ることはやめにする!
客観的に冷静に、情報を分析し、自分が世の中に届けたい価値を創造することに集中しようと思う!
ちなみに世界時価総額ランキングです
1位)NTT日本
2位)日本興業銀行日本
3位)住友銀行日本
4位)第一勧業銀行日本
5位)富士銀行日本
6位)IBMアメリカ
7位)エクソンアメリカ
8位)トヨタ自動車日本
9位)東京電力日本
10位)GE アメリカ
自分たちがつくりあげた結果でもないのに
先人の方々がつくった過去の栄光でも少し嬉しく思う自分がいる
三十九歳のひとりごと
2007年9月27日、苦にならない日に起業した。
今日でちょうど10年が経った。
10年目の節目の今日、
特別に何かをするわけではないし
盛大なパーティーを開くこともない。
ただ、この10年で学んだことを
3つに絞りブログを記すことにする。
①「何のために」
10年間、とにかくこの言葉と向き合てきた。
何のために働くのか?
何のために起業したのか?
何のためにチームをつくるのか?
何のために家づくりをするのか?
何のために勉強するのか?
何のために利益をあげるのか?
何のために生きるのか?
何のために自分は存在しているのか?
何のために生まれてきたのか?
この答えに正解はないと思うし間違いもないと思う。
もちろんこの答えは誰も教えてくれない。
そして、10年間、この言葉と向き合ってきた結果
自分なりの答えをみつけた。
しかも全ての答えは同じである。
それが
「おっ!」
である。
「おっ!」をつくるために働いている
「おっ!」をつくるために家づくりをしている
「おっ!」をつくるために生きている
今ではこの「おっ!」が理念となり、
その理念に賛同した仲間でチームをつくることができ
「おっ!」を軸とした理念経営をすることができている。
「何を売る。どうやって売る」よりも前に
「なんでそれを売りたいのか」という理由(WHY)が大切なのだと思う。
この「おっ!」の理念は
どんなに批判を浴びようと、
どんなに「わかりにくい」と言われようが
変える気はないし、ブレずに微動だにしない。
この10年の1番の成果と言われれば
一片の曇りもなく
「おっ!」という『世界一短い理念(自称)』を創出したことだ。
②因果応報
「人のものを盗むという行為は悪いことである」と
子どもは大人から教えられる。
しかし、年齢的に大人になった今、大人の世界ではこの盗む行為と同じようなことが往々にされていている。
・政治家の不正受給
・オーナー経営者の節税と称した私的費用の経費算入
・入場料など子供料金にするために子どもの年齢嘘偽
大人になればなるほど、隠したり誤魔化したりすることがうまくなる。
そして、これを繰り返しているうちに自分自身の正しい心も「このくらいいいだろう」と当たり前になる。
「みつからなければそれでいい」という気持ちさえも薄れ、悪いことをしているという罪悪感さえなくなってしまう。
では「この罪を誰が裁くのか?」
みつからなければ誰かが裁くわけでもない。
神様だって人の罪を裁くのは、その人の死後まで待つ。(サミュエル・ジョンソン)
そうなると自分で自分を裁くしかないのである。
そこで重要になってくることが「因果応報」なのだと思う。
実は、自分も経営に関して2年前から因果応報を根底に経営をし、周囲から「えっ?」と思われる事はやらないことにした。
(「おっ!」と反対の言葉としての「えっ?」)
誰も見てなくても自分自身で正々堂々とできる行動をするようにした。
結果、会社の売上や利益は向上し、チームも良いメンバーが集まってきた。
誰かに怒られるからとか
世の中から制裁を受けるとか
地獄に落ちるから
ではなく、良い結果を望むのであれば
自分自身で自己を律し、良い行いをしなければならないのである。
(と書きながらも目先の快楽を優先させ自己を律せない事も時々あるが)
③鉄の車輪
この10年間、数社の会社やチームをつくってきた。
マネタイズ出来たのは2社だけであったが、2社とも成績は10年連続黒字経営を続けることができた。
しかし、10年経ってようやく気づいたことがあった。
それは「スタートアップ企業(ベンチャー企業)」と「中小企業」の成長は全く違うということである。
実はこの10年、自分はベンチャー(スタートアップ)であると思って会社を経営してきたが、結果的に中小企業としての成長曲線を描いて成長してきた。
もちろん中小企業の成長が悪いわけではないが、気持ちと現実がアベコベだったのである。
創業者と仲間割れをして株の事で争ったり
MBOにより会社の保身を優先したり、
節税節税とチームの成長を抑制してきたのである。
にもかかわらず、気持ちだけは、「新しいことに挑戦しよう」とベンチャーを気取っていたのである。
チームに問題がなければ、面白そうなイベントに参加して、気晴らしに自分の時間を消費していたり、有名な経営者と知り合って恩恵にあやかろうと、目的も合わない経済団体等の活動を手伝だったりして、時間を浪費していたのである。
もちろん、人脈を広げてその伝で売り上げをあげる方法もあるが、自分としては、新たなビジネスモデルを構築し、世の中にないサービスをつくり上げたいと思っているので、無暗にイベントや団体活動に参加してもすぐに辞めてしまうのであった。
スタートアップ企業(ベンチャー企業)とは
「新しいビジネスモデルを開発し、(外部から資金調達をし)短時間のうちに急激な成長とエクジットを狙う事」である。
「スタートアップ企業(ベンチャー企業)」と「中小企業」とでは
企業価値も大きく異なってくるし、考え方もチーム規模も異なる、なによりも一番の違いはスピードである。
そして、中小企業でもスタートアップ企業でも重要なことは、鉄の車輪を回し続ける事である。
理念と利益の両輪がついた鉄の車輪を一定方向に押し続けることである。
鉄の車輪は重い!
最初の1回転はたくさんの力(エネルギー)を使わないと鉄の車輪は動かない。移動した距離も短い。
しかし、一定方向に力を加え続けることによって、2回転3回転と回り続ける。
さらにこれを続けると10回転50回転100回転と回り、こうなるとあまり力を加えなくても車輪は回る。
そして、移動した距離は、車輪の回転数に比例して、遠くまで動く。
この車輪(理念と利益)が大きければ大きいほど、大きな力が必要になる。
すなわち、人も資本も必要になる。
さらに、人力ではなく、車輪を動かす為の機械を発明して動かすアイデアがあれば、
それを実現する為に、さらなる人も資本も必要になる。
「スタートアップ企業(ベンチャー企業)」にしても「中小企業」にしても鉄の車輪を一定方向に押し続けなければならないのである。
最後に
起業したときは「とにかく起業したい」という一心で起業した。
「自分のため」「儲かればいい」という自己中心的な今思えば赤面する様な状態でスタートした。
そこには、「世の中のため」「誰かのため」という貢献心もなく、
かといってカッコイイ事業モデルや理論的な戦略もなく、そして、理念の「り」の字も無かった。
そんなスタートだったので起業6ヶ月目には通帳には1万円もなく倒産の危機に落ちいたこともあった。
この10年間、本当にたくさんの失敗をしてきた。
しかし、今こうしてブログを書くことができているのは
やはり多くの人からの支えがあったからこそである。
自分は昔から人の「出会い運」がいい。
ムチャクチャなスタートでも
家族や友人、お客様や取引業者、そして、チーム(会社)のメンバー
良い人と出会えれば、成長し続けることができた。
今、年齢が重なるごとに実感することがある。
「やらない理由をつくるのが上手になってきたな~」と
何か新しいことをしようと考えると
直ぐに言い訳が先に立ち、やらない自分を正当化しようとする。
これからも言い訳なしで
「おっ!」をつくるために
因果応報の精神で大きな鉄の車輪を回していくことにする。
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<追伸>
「おっ!」をつくるための行動基準として
チームメンバーとつくった『「おっ!」をつくるためのイレブンバリュー』がある。
みんなから好評をもらっている
「おっ!」をつくる11の価値観(11values)
1.相手の喜びを自分の喜びと感じる
2.自分たちもチームとして楽しむ
3.「なんで?」をとことん追求する
4.シンプルな思考と迅速な行動を強みとする
5.オープンなコミュニケーションを大切にする
6.「変わってるね」は褒め言葉として歓迎する
7.いつも注目されている意識を持つ
8.心揺さぶる体験を創造する
9.失敗は成長の糧であり、挑戦している証と心得る
10.「おもてなし」の文化に誇りをもつ
11.ありったけの「ありがとう」を伝える
責任をとる
「責任をとる」という言葉は大人になればなるほど使われる言葉だ。
とくに会社や家族などチームのメンバーが多くなればなるほど使われる。
影響力が増すごとに責任の大きさが大きくなるからだ!
しかし、
責任のとり方ってなんだろう?
政治家の責任の取り方としてよく出てくるのが「辞任」である
しかし、辞めるだけで本当に責任をとっていることになるのか?
武士の時代には切腹をして死をもって、責任を取っていた。
現代社会において、犯罪を起こした場合、最高の償いは「死刑」である。
しかし、今も昔も、死んだからといって、責任を果たしたかどうかも定かではない。
以前のサラリーマン時代に、営業で数字が取れなかった時のことだ。
責任の取り方として、「辞職の意」を示したことがある。
その辞表は受理されなかった。
そこで、上司に尋ねた。
「どうすれば責任がとれるのですか?」
しばらくして返ってきた答えは
「(取れなかったマイナス分の数字も合算して)来期、その分もとれ!」
なるほど・・・
(ただし、この言葉を自分から発言したら怒られる)
数字が取れなければとれないほど
数字が累積され、厳しい状況になる。
「政治家はある意味、楽だな~。辞めれば許されるのだから」
と思った。
しかし、今でも
問題が起こると、この上司からの言葉がよみがえる。
すなわち
自分が考える責任の取り方は「最後まで諦めない」という事だ。
どんな問題が起きても、「辞める」ことではなく
どんな状況においても「続ける」ことが責任の取り方なのだと思う。
政治家の人達が、
どんな思考をしていても
どんな暴言を言ってしまっても
どんな不祥事を起こしても
どんなに敵対政党から野次を言われても
どんなに辞任を求められても
自身の理念の追求を最後まで続けなければならないのだと思う。
石と価値
子供ってよく石を拾ってくる
自分も小さい頃、よく拾ってきたと思う
しかし石を拾ってくると、大概大人から捨てられる
しかしお店ではダイヤモンドやオパールなどの石が
何百万円、何千万円、何億円もの金額で売られている
富裕層の大人は、宝石で着飾り、使わない時は大切に保管する。
同じ石なのにどうしてここまで違うのか?
1つに希少価値の違いが考えられる
しかし価値とは、人が決めるものであり、人それぞれ違うのである
価値を認める人が多ければ多いほど金額としては比例するが
それはお金だけの話であって、価値観を否定する要因にはならない
その人によっては、世界にったた一つの希少価値の高い石なのである
経済的指標として、需要と供給から見ると、
需要が供給より大きくなると金額も高くなる。
当たり前のことだ!
しかし、お金で幸せを感じる人もいるだろうが
価値を認めてもらって幸せを感じる人もいる。
価値観は人それぞれであって、他の人の価値観を否定することはできない
自分たちは「家づくり」として価値を創り出す仕事をしている。
たくさんの人達の家をつくってきた。
家をつくるとき、まず最初に今住んでいる家にお邪魔し、押入れの中まで見させていただき
その家族の価値観をみつけ、新たな価値を創造し、さらなる価値を提案する。
そして世界にった1つの家をつくる。
子供が拾ってくる石を見ると
自分たちがつくる「家」と、なんとなく似ている感じがする。
この石は、自分が17歳の時にデンマークに留学していた時に拾った石だ。
石を木材と金属でアレンジして一つの作品にした。
当時、『ヤーナ』という美術の先生がこの石を認めてくれて
美術の授業の時間は何でも好きなものを作らせてもらった。
デンマーク語で言葉も分からなかったが、
この石の価値をヤーナが認めてくれたお陰で、ヤーナのことがすごく好きで、
ものづくりの楽しさを学ぶ事が出来た。
当時、自分は反抗期な時期でもあり、多くの先生から反感を買い
授業もさぼったりしてあまり良くない生徒だったが、美術の授業だけはいつも待ち遠しく楽しかった。
「価値観を認める」ってやっぱり大切だ!